2020年10月06日23:49
昨日の朝刊で、高田賢三さんがコロナで亡くなったことを知りました。
81歳という年齢に、もうそんなお歳だったんだ!驚きました。
そして、ヘアスタイルが以前と変わっていることにもビックリ。
賢三さんと言えば、前髪パッツンのマッシュルームカットが定番でしたから。
賢三さんは私の卒業した専門学校の、しかも同じデザイン科の大先輩で、とても尊敬しているデザイナーさんです。
私が学生だった頃には、既にパリで人気のデザイナーとして活躍されていましたが、担任の小池千枝先生が教え子である賢三さんをクラスに呼んで下さって、1時間ほどお話しを聞く機会がありました。
話の内容は忘れてしまいましたが、日本語が怪し気だったのはよく覚えています。
長いこと外国に住んでいると、日本語忘れちゃうのかな~、と思ったものです。
でも、シャイで朴訥そうなお人柄はとても好感の持てるものでした。
そんな賢三さんに憧れて、クラスメイトのつとむ君はヘアスタイルも真似をしていました。
雰囲気もそっくりだったので、私たちは「ケンタ君」と呼んでいましたが、そのケンタ君、賢三さんと同じようにデザイナーの登竜門「装苑賞」を取ったと思ったら、卒業後はパリに渡り、賢三さんの会社に入ってしまいました。
賢三さんのアシスタントをしていたらしいのですが、帰国したときには同窓会を開いてパリの話を聞いたものです。
今でこそパリなどお金と時間があればいつでも行けますし、ネットで簡単に情報が手に入りますが、その当時は「花の都、憧れのパリ」でしたから、目を輝かせて賢三さんの仕事の話や、パリの話を聞いたものです。
お客様と話をしていますと、よく
「どうしてフランスの雑貨を扱うことにしたんですか?」
と聞かれますが、実は自分でもどうしてかはわからないのです。
もしかしたら、あのとき賢三さんと会ったことや、ケンタ君からパリの話を聞いて「いつか私も!」と思っていたのに、結局は果たせなかった夢を疑似体験したかったのかも知れません。
若かりし頃のことを思い出した訃報でした。
ファッションの世界で、日本人の力を世界に知らしめてくれた賢三さん。
ご冥福をお祈りいたします。
「高田賢三さん死去」 のニュースに驚きました。 ≫
カテゴリー │自分のこと
昨日の朝刊で、高田賢三さんがコロナで亡くなったことを知りました。
81歳という年齢に、もうそんなお歳だったんだ!驚きました。
そして、ヘアスタイルが以前と変わっていることにもビックリ。
賢三さんと言えば、前髪パッツンのマッシュルームカットが定番でしたから。
賢三さんは私の卒業した専門学校の、しかも同じデザイン科の大先輩で、とても尊敬しているデザイナーさんです。
私が学生だった頃には、既にパリで人気のデザイナーとして活躍されていましたが、担任の小池千枝先生が教え子である賢三さんをクラスに呼んで下さって、1時間ほどお話しを聞く機会がありました。
話の内容は忘れてしまいましたが、日本語が怪し気だったのはよく覚えています。
長いこと外国に住んでいると、日本語忘れちゃうのかな~、と思ったものです。
でも、シャイで朴訥そうなお人柄はとても好感の持てるものでした。
そんな賢三さんに憧れて、クラスメイトのつとむ君はヘアスタイルも真似をしていました。
雰囲気もそっくりだったので、私たちは「ケンタ君」と呼んでいましたが、そのケンタ君、賢三さんと同じようにデザイナーの登竜門「装苑賞」を取ったと思ったら、卒業後はパリに渡り、賢三さんの会社に入ってしまいました。
賢三さんのアシスタントをしていたらしいのですが、帰国したときには同窓会を開いてパリの話を聞いたものです。
今でこそパリなどお金と時間があればいつでも行けますし、ネットで簡単に情報が手に入りますが、その当時は「花の都、憧れのパリ」でしたから、目を輝かせて賢三さんの仕事の話や、パリの話を聞いたものです。
お客様と話をしていますと、よく
「どうしてフランスの雑貨を扱うことにしたんですか?」
と聞かれますが、実は自分でもどうしてかはわからないのです。
もしかしたら、あのとき賢三さんと会ったことや、ケンタ君からパリの話を聞いて「いつか私も!」と思っていたのに、結局は果たせなかった夢を疑似体験したかったのかも知れません。
若かりし頃のことを思い出した訃報でした。
ファッションの世界で、日本人の力を世界に知らしめてくれた賢三さん。
ご冥福をお祈りいたします。